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2017年8月11日金曜日

「おクジラさま ~ ふたつの正義の物語」を観て


  昨日、「おクジラさま ~ ふたつの正義の物語」という映画を見てきました。一言で言うと、反捕鯨団体シーシェパードメンバーが、はるばる、わざわざ、ご苦労様なことに、日本の捕鯨の町、太地町までやってきて、一方的に「自分たちの正義」を振りかざし、「日本人をクズ扱い」し、素朴・純朴な町民が戸惑う様を描いた映画です。

  映画の製作者佐々木監督は、日本以外で著名な「The Cove(反捕鯨映画/2009年)」に対し、日本人として怒りを覚え、映画製作を考えたのだそうです。しかしながら、映画のトーンは「日本側の主張」というものではなく、反捕鯨側の主張、日本側の反論、途方に暮れる太地町、何故か大活躍の右翼(笑)、それぞれのあるがままを描いています。観る者によっては「メッセージが無い」とも受け取られかねない作品かなと思いました。

  しかし、メッセージはしっかりあります。試写会後、佐々木監督を囲んで質疑応答の時間がありましたがその際、佐々木監督は『誰かを悪者にする映画にならないよう注意を払った』と述べています。これこそこの作品が放っているメッセージだと思います。

  ところで、このメッセージを読み取れる人口は、どれほどのパーセンテージになるんでしょう?人類全体の大多数がこのメッセージを読み取るなら、この世界に戦争は存在しないな、と思っていました。また、日本人の大多数がこれをできるなら、日本は世界平和をリードする立場と資格を持っていると思います。

  そもそも「正義とは何か?」、そんなことを考えながら映画を見ていました。定義とまでは言いませんが、

(1) 正義は『他者を悪者に仕立てげる』もの、
(2) 正義は、思考を求めず、情緒に訴えるもので、『安易』に広く、深く、強く共有されやすい、
(3) 正義は、唯一絶対ではなく、複数存在し得るもの、
(4) 正義は、悪者への『暴力を正当化する』もの、

といった性質を持っていそうです。「戦争が起きる主要な要因」ということもできそうです。正義というと多くの場合、肯定的に捉えられますが、実は極めて危険なものです。

  あくまで私の主観ですが、日本人は世界で最も『正義の危険性』に気づいている民族と思っています。正義を振りかざす人物を見ることは、日本の日常では、まずありません。映画の中でシーシェパードの若いメンバーが、年配のリーダーの「捕鯨邪悪論」に陶酔したように聞き入る目を見て「狂気」を感じ取るのは、戦前戦中の日本がどうだったかを学んできた日本人だからでしょうか。

  佐々木監督がシーシェパードを批判するスタンスに立たないのは、それをやればシーシェパードと同レベルに『落ちてしまう』から、と思います。佐々木監督はシーシェパードへの怒りを抑えながら、「(良い意味での)上から目線」を保とうとしているのだと思います。

  この映画の副題にある「ふたつの正義」という言葉がそれをよく表しています。正義は複数、互いに妥協することなく、存在し得るものです。一方の正義が、真正面から他方の正義を否定しようとすれば反撃を食らい、反撃が反撃を呼び、エスカレートすれば、戦争にまで及んでしまうような危険なものです。キリスト世界vsイスラム世界の絶え間ない摩擦はその典型に見えます。

  だから太地町の町民のよう反撃せず(できず)ただ我慢することが最善だというわけではありません。佐々木監督がこの映画を製作したのも、黙り込むべきではないと考えたためで、その思いに、私を含め、多くの共感を集め、現にクラウドファンディングで多額の資金を募りました。

  戦うことは必要です。ただその戦い方では、正面衝突を避けることが賢明です。映画を見て気づくようにシーシェパードのメンバーの若手はよく言えば純真、悪く言えば幼稚です。映画の中で、若い女性メンバーが「太地町を『より良い方向』に導くためにシーシェパードができることを教えてください!」と発言します。「何を良くて、悪いとみなすかの基準」が噛み合っていないから対立していると言うのに、全くあきれてしまいますね。

  ただ、これは大きなヒントです。日本人は欧米人というだけで委縮してしまいますが、シーシェパードの大半は実は「大人子供」です。真っ向からシーシェパードの主張を否定するのではなく、いったん受け入れ、例えば「クジラの屠殺は確かに残酷だ。しかし残酷でない屠殺はあり得るのか?」「豚の屠殺シーンを見たことが無いから、クジラの屠殺だけが特別に残酷に思うのではないか?」など投げかけ、「シーシェパードの正義」を少しづつ時間をかけ、切り崩していく作戦など良いのではないでしょうか?正面から全否定すれば、逆に相手の正義を燃え上がらせてしまいますから。

  正義感に燃えているシーシェパードに対して、もう一つの正義を振りかざしてはいけない。「正義の危険性」を知る日本人だからこそ、見いだせる賢い戦い方がありそうです。

  日本を『悪者に仕立てげる』存在はシーシェパードだけではありません。慰安婦問題もあります。しかし、シーシェパードとの戦い方を見いだせれば、連戦連勝のような気がします。楽観的過ぎるでしょうか?「正義」は危険ですが、その本質は情緒的で、その信者はとても幼稚です。日本人が、我々自身が思うほどに、「大人なのか」「賢いのか」が試されているのだと思います。





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2017年7月30日日曜日

安倍政権が改憲することの無意味さ


  安倍政権支持率急落により、雲行きが怪しくなってきた改憲ですが、どちらかと言うと改憲派である私には、これは寂しいことです。実際に改憲するか否かは別にして、日本国民が日本国憲法に対して意見を持つことはとても大切であるし、そうしないことはあまりに気の毒で、弱弱しく、無責任でけしからんことだと思っています。なので、少なくとも私自身の意見は書き留めておきたいと思っています。


  憲法の専門家でもない私の憲法論には一切の専門用語も出てこないカジュアルなものです。一方、私は工学部出身の元エンジニアで、並はずれて理屈っぽく自信家です。私の目には、メディアやネットで見る改憲議論は「専門的で高級で、神々しく、とても口出しできない領域」ではありません。全くその逆で、「何をくだらない話をしてるのか」「そもそも何がしたいのか」と腹立たしくなる領域です。上から目線で申し訳ありませんが。()


とても難解な日本国憲法9条は実質無視されているいじめられっ子

  日本国憲法と言ってもここでは第9条に話を絞ります。つまり、
 
憲法9
(1) 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2) 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

という部分です。(2)項を見て自衛隊が違憲な存在だとすぐ気が付きますね。


  実際、自衛隊が違憲であると考える人は多くいます。違憲な存在である自衛隊がコソコソすることなく真昼間から活動しているのは、「解釈改憲」なる難解な手法を通して「自衛隊は合憲」と理屈付けしているからです。但し、2015年まで、自衛隊の活動範囲は「個別的自衛権」に限定されていました。

  しかし2015年には自衛隊と他国軍による集団的自衛権行使を含め、合憲とされることになりました。

  もちろん、これも違憲と考える人がたくさんいます。むしろ、素直に憲法を読めば「違憲」です。しかし、解釈改憲は日々進化()していますので、ど素人や中高大生ごときには理解不能な理屈付けにより「合憲」ということになっているわけです。() 

  解釈改憲の変遷を下図に示します。





  


そもそも日本国憲法が明文化されているのは何故か?


  しかし、憲法を含むすべてのルールを制定する目的の第一は「共有」です。つまり、そのルールに関わる全ての関係者(憲法の場合、全ての日本国民・行政府・立法府・司法府)がルール理解を共通にすることです。そうするからこそ、皆がそのルールを遵守できるわけですから


  ところが日本国憲法の場合、「条文通りの普通の解釈」の他に「解釈改憲」なるものが存在し、それすら固定していないという到底「共有」できる代物になっていません。ひらたく言えば、日本国憲法は尊重されていないということです。日本国憲法は遊ばれているわけです。


解釈改憲をした安倍内閣が改憲する意味は?


  日本という国では、解釈改憲が許されていますので、「改憲は不要」と断言できます。何故なら解釈改憲とはそれ自体「改憲」であるから、それ以外の改憲が別に必要なわけがないからです。それ以外の改憲、つまり、憲法条文の改訂をしたところで、その後にまた解釈改憲するに決まってます。解釈改憲を禁じなければ永遠に「本当の意味での改憲」は意味を持たないわけです。


  散々、解釈改憲してきた国が今さら解釈改憲を禁止しますか?解釈改憲を禁じるというのもおかしな話です。何故なら解釈改憲自体が憲法を無視した違憲行為だからです。そんなものとっくの昔から禁止されているわけですよ。()


  つまり「解釈改憲」と「本当の改憲(憲法条文の改訂)」は相いれない関係にあるわけです。ついこないだ、2015年に解釈改憲を実施したばかりの安倍政権が今度は本当の改憲をしようとしている。このこと自体、お馬鹿過ぎです。 憲法を軽視し、勝手に解釈を変えた人物が、憲法を制定する。しかも9条第2項を残しながら、「自衛隊」明記しようとしている。これはもう解釈不能なお馬鹿憲法になってしまいます。()







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2017年7月23日日曜日

東京新聞の望月記者についての産経新聞記事


  東京新聞の望月記者についての産経新聞記事がyahooに掲載されており、興味を持ちました。同業者が彼女の姿勢をどう捉えているか、興味深いところです。


官房長官の記者会見が荒れている! 東京新聞社会部の記者が繰り出す野党議員のような質問で


  まず、メディアが果たすべき使命と日本の報道の現状について、私の認識を書きたいと思います。


  1つ目にメディアの使命ですが、言うまでもなく、国家の主権者たる国民が知る必要と権利を有する事項を取材し、紙面あるいはWeb、テレビを媒体として報告することです。


  現在、種々の世論調査で、政府による加計学園等についての説明が不足しているとの指摘がなされておりますが、まさに政府から「充分な説明」を引き出すことこそ、メディアの使命というわけです。逆に言うと、種々の世論調査がメッセージしていることは、『メディアはもっと頑張りましょう』ということです。


  2つ目に日本の報道の現状ですが、過去にも記事を書きましたが、他国に比べて報道の自由度が低く、直近の調査では72位と韓国とデッドヒートを演じている状況です。 


  つまり国内的には報道が不十分と指摘され、また国外からも報道の自由度が低いと言われているわけで、日本のメディアはその存在価値を大いに問われている状況にあるわけです。これは誰かの主観ではなく、「科学的に観察された事実」です。


  以上を踏まえて、産経新聞記事の内容を見てゆきましょう。


  まず、記事全体のトーンとして、望月記者に対して批判的です。以下に引用します。(『 』内が産経新聞記事の引用です。)

  
『質問は簡潔にまとめて最小限に抑えることが、各社の長官番の間では、大前提となっている。』

『望月記者の特徴は、まず一つの質問が長い。』


  これは私も思います。(笑) この点は単純に望月記者が「下手」なだけでしょう。そのうち上手になると期待しましょう。(笑)



『結局、同じことを繰り返し聞いている。』

『政府の公式見解を問う場で、延々と質問を浴びせ続ける姿勢はどうなのだろうか。』


  この奥歯にものが挟まったような批判は何なのでしょう?言いたいことが見えませんね。(笑)


  同じ質問を延々と浴びせ続けるのは望月記者自身が述べている通り、「明確な答えが得られないため、繰り返し質問している」わけです。


  つまり自分が理解できないものを記事にしたところで、国民に伝わらないわけですから、まず自分が理解できるまで質問を繰り返しているわけです。


  一方、産経新聞記事から読み取られる産経新聞の方針は、「納得できる答えが得られなくとも、同じことを繰り返し質問してはいけない」「意味が理解できなくとも、延々と質問を浴びせ続けるべきではない」「結果として、国民に合点の行く報告ができなくても問題ない」ということになります。


  つまり「政府は充分な説明責任を果たしていない」との世論調査結果だったり、「日本の報道の自由度が72位と世界的に見て極めて低い」という恥ずかしい調査結果をいただいたりした原因は、産経新聞社のようなメディアのせいだったというわけです。しかも、産経新聞社の記者の怠慢、という話でもなく、産経新聞社という会社の方針だというわけですからぶったまげます。(笑)


  国民の利益に合致する政府の活動を保証するには、メディアによる事実の報告が不可欠です。政府の説明責任の一端をメディアが担っているのです。


  すっとぼけたこと言ってないで、まじめにやってね、産経新聞さん(笑)






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2017年7月15日土曜日

怪しすぎる「改憲派」なる存在


  まず、本ブログ著者の立場ですが、私はいわゆる改憲派です。改憲すべき理由は、


(1) 現憲法下で明らかに違憲である自衛隊を合憲とすべく、改憲すべきだから。


である。この考え方は極めて一般的なもので、多くの方に共有されているものと認識しています。

  しかし一方、解釈改憲なるものが存在し、「現憲法下でも自衛隊は違憲でない」のだそうです。さらに2015年、解釈改憲は拡大し、集団的自衛権行使の一部ですら合憲になってしまいました。

  このように「解釈改憲」が進化続けていくなら、(1)を理由とする改憲に意味があるんでしょうか?答えは明らかに「No」です。逆に変化する状況に対して後追いで改憲すること自体、労力・コスト・時間の浪費なのです。


  繰り返しますが、「自衛隊を合憲にするための改憲」など全く意味がなく、かつ税金の無駄遣いであり、絶対やってはいけないことなのです。


  わが国には世界でも稀に見るフレキシビリティを特徴とする「解釈改憲」があるのですから、日本国憲法を改訂するなどという無駄作業は省略すべきなのです。


  したがって、本ブログ著者の基本的立場は「改憲派」であるが、実務的には「解釈改憲」で改憲を進めるべきであり、絶対に日本国憲法を改訂するなどという無駄な作業に手を染めてはいけないというものです。


  このように「改憲派」でありながら、「日本国憲法を改訂するな」という素直でない本ブログ著者の思考をさらに複雑にさせているのは、「改憲派なる集団の怪しさ」にあります。


  「改憲派」というと考えや価値観を共有する一つの集団あるいは派閥を連想させます。本当にそうでしょうか?


  改憲派とは現行憲法を改訂すべきという主張をする人々を束ねる概念で、護憲派に対する対立的立場を言います。下表は両者をもう少し詳細に比較したものです。


  下表を見て明らかなように、護憲派が一枚岩なのに対し、改憲派は多様です。つまり、一言で改憲と言ってみたところで、憲法改定案が一つに絞られているわけではなく、従って理論的には「無限数の改憲派」があるわけです。




  こんなものが、一つの価値観を共有する集団であるとか、派閥と呼べるものでしょうか?全く違いますよね。そんな雑多な考え方、不統一な価値観の多様な連中の中に何故か存在する「連帯感」(笑) 自体が幻想であるわけです。そんな馬鹿集団に属したくないと本ブログ著者は強く思っているわけです。


  これを今読んでるあなたは改憲派ですか?改憲派だなんて、恥ずかしいから、人前では言わない方が良いですよ。(笑)
  





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2017年7月8日土曜日

東京新聞 望月記者が暴露した菅長官のレベル



  先日の記事でも触れました東京新聞の望月衣塑子記者ですが、官房長官記者会見で引き続き目立ち続けているようで、世間の注目を浴びているようです。動画がありましたので、引用します。

  望月記者・菅官房長官は熱く、長くなりがちです。動画の23:55あたりから、お二人のやり取りが始まります。





  望月記者はやや苛立ちを隠せず、早口になりがちで、ご本人の映像は写っていないのですが、おそらく苛立ち、怒り、落胆等の表情になっていると思われます。対して、菅官房長官は時折、笑いを浮かべ、おそらくその意図は自分側を優勢にみせようとするものと思われますが、反面、時に『苦痛』や『怯え』の表情も見えます。


  この動画は、7月4日午前の官房長官記者会見の様子を写したものです。つまり、都議会選における自民党の歴史的惨敗から間もないタイミングのものであることを考慮して見ますと、菅長官の表情からその心理状態も透けて見えてきます。


  望月記者の繰り返しの質問に対し、菅官房長官は「ご自身が納得できないからと言って、この場で何度も繰り返して質問することはいかがかと思います」と望月記者を批判します。


  対し、望月記者は、「私個人の納得云々ではなく、『(政府説明に)国民が納得している』と認識しているのか?」と質問します。対して菅官房長官は「所管大臣が答弁してるじゃないですか!」と『政府は説明している』ことを繰り返しています。やや言葉を変えながらも、このやり取りが繰り返されます。


  このようにやり取りが噛み合わない理由を考えてみました、随分もつれているので、フローチャートにしてみました。





  いかがでしょう?我ながら分かり易いと思っていますが。(笑)

  菅長官が言うところの説明責任は、文字通り「説明する」ことで完結します。小学生でもわかりますね。一方、望月記者の言う説明責任とは、「説明し、納得が得られたか否かをチェックし、納得が得られていなければ再度説明を試みます。そして納得が得られるまで、説明を続ける」ことを言っています。菅さんにはちょっと分かりづらいのかもしれませんね。(笑)


  お二人にこんな認識差があるため、望月記者の質問に菅さんがウンザリしたり、望月記者が苛立ったり、菅さんがそれに怯えたりするわけです。二人の心の中にはお互い「わっかんねー奴だなー」があるんでしょうね。(笑) 



  菅さん、ちょっとレベル低すぎですね。(笑)








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2017年7月2日日曜日

ポンコツ改憲論議はスルーしよう


  昨日の「クロスファイア」という番組で、丁度、改憲をテーマに石破茂氏と田原総一朗氏が議論していました。番組全体には触れませんが、番組の終り間際に面白い話がありましたので、紹介します。(37:10辺りから始まります)





  以下、田原総一朗氏が歴代自民総裁に憲法に対する考え方をヒアリングしたものです。


(1) 鳩山一郎氏(自民党初代総裁)

自衛隊と憲法は矛盾するため、憲法改正が必要と考えた。


(2) 鳩山一郎氏以降

鳩山一郎氏以降、安倍晋三総裁以前までの歴代総裁は改憲を主張しなかった。


(3) 竹下登氏

憲法の制約で自衛隊が「戦えない軍隊」であるが、「戦えないから日本は平和でいられる」

(背景:竹下氏に限らず、次の考え方が根強くあり、歴代総理が現憲法をむしろ必要と考えた。「太平洋戦争前に、昭和天皇を含め開戦反対論があったが、軍を収めることができず、開戦に至ってしまった。『戦えない軍隊』にしておくことがこれの再発防止になる」


(4) 安倍晋三氏

 ・ 米国から「集団的自衛権行使可能」とするよう強い要求があった。
 ・ しかしながら、2015年に安保法制定以降、この要求(圧力)がなくなった。
  (米国は安保法制定によって、集団的自衛権行使可能と考えている。)
 ・ このため、安倍晋三氏は、「集団的自衛権行使可能とするための改憲」は必要ではなくなったと考えている。
 ・ しかしながら、自衛隊は憲法違反という意見が多数を占めており、
   安倍晋三氏は「自衛隊を憲法に明記する」改憲をすべきと考えている。


  どうでしょう?とても分かり易いと思われませんか?安倍晋三氏が集団的自衛権行使を可能とする「正論」改憲ではなく、とりあえず自衛隊を合憲にするための「小手先」改憲を考えている理由が明快に説明できてしまいます。痛快なまでに。(笑)

  つくづく、不真面目な感じがしませんか?憲法改正と言ったら大事業ですよ。大変な労力と時間を消費するはずです。にも拘らず、現実世界を良い方向に導く(例えば日本の防衛をより強固にするとか)のではなく、憲法という「文書(仮想世界)」に、現実世界を追認するための、修正を加える、というだけの話なのです。馬鹿らしくて付き合ってられません。
   
  本来やるべきことは、『現状を良い方向に変革』することであって、そのために必要であるなら改憲を行う、という流れのはずです。つまり改憲は「手段」であって「目的」ではないはずです。ところが、安倍総裁は、現実を変化させる意図なく、憲法のみ変化させようとしています。明らかに改憲を目的としているわけです。こんな改憲に全く価値はありません。

  しかしながら、改憲が語られるとき、安倍総裁に限らず石破氏も自民党も公明党も民心も、憲法の文言の検討を始めます。そもそもこれ自体が大間違いで、「現状の何を変えるべきなのか」がまず考えるべきことなのです。

  目的を定める前に手段を検討するなんて頭のオカシイ人がやることなんですが、それをやってしまっている。これだから日本の政治は三流であり続けるわけです。いわゆる政治学者も評論家も同じ穴の何とかです。

  例えば、「ブッシュジュニアやトランプに見られるように米国政権は必ずしも信頼できるパートナーではなくなった。従って、今後は、例えばEUのような代替パートナーを視野に入れられるように、集団的自衛権を合憲にすべきだ。」といった文脈で改憲を考えるべきです。

  逆にそのような正論を持たない改憲なら100%失敗します。間違いありません。我々国民としては、協力せず、極力無視するか、反対すべきでしょう。反対するにしても、余りにもバカらしいので、極力エネルギーを使わず、反対活動をしたいものです。(笑)


  ところで番組で、ドイツでは(NATOとしての)集団的自衛権のみ許されているという話が紹介されていました。(45:10辺りから始まります)







  これは、過去のナチスドイツの反省に基づき、ドイツ単独の意思では自衛権すら行使できない仕組みにしているのだそうです。まさに竹下登氏らの懸念に対応する仕組みであり非常に興味深いですね。


  一方、日本では集団的自衛権というと「米国におつきあいして、戦争に巻き込まれる状況が懸念される」という意見が優勢です。


  つまり、同じ集団的自衛権が、日本では『戦争を誘導する要因』と捉えられ、ドイツでは『開戦を制御する要因』として真逆にとらえられているわけです。目から鱗が落ちる思いです。日本の政治家のポンコツ論議を聞く無駄に比べれば、このような各国の安全保障の考え方を学ぶことはとても有意義です。性急に憲法の文言をどうだこうだするのではなく、世界に学ぶことから始めてもらいたいものです。





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2017年7月1日土曜日

間抜けな改憲案への批判も五十歩百歩


  前の記事で、首相案がいかに間抜けなものかわかっていただけると思うのですが、当たり前のように批判が起きています。


石破茂案

  一つには自民党の石破茂元幹事長による批判があります。 反対の趣旨は、平成24年の自民党の憲法改正草案と異なる案を首相が提示してきたことにあります。党内でかつてしっかり議論して造り上げた改憲をさしおいて、思い付きとしか思えない間抜けな改憲案を首相が提示してきたことに対する批判です。

  どうやら首相が憲法改正草案をスルーしたのにもわけがあり、「とても国民に受け入れられる案ではない」と判断したようです。憲法改正草案はコテコテの保守思想の匂いを漂わせたもので、直感的に21世紀の日本にふさわしいモノとは思えません。さらに九条以外の部分にも手が加えられており、国民が理解し、最終的に納得するにしても相当な時間が必要そうです。「2020年の改憲」を目指すとなるとこの憲法改正草案をベースにした議論では「最初から無理」に思われます。


三浦瑠璃案

  トランプ氏研究で有名になった三浦氏ですが、もともと「戦争を避け、平和を維持するための研究」をされている学者さんとのことで、憲法改定にも関心があるようです。


  そして安倍首相の改憲への積極的姿勢を歓迎しながら、やはり安倍案には難色を示しています。その理由は前の記事で私が述べたものと同じで、九条第2項と第3項が矛盾するという指摘です。


----<引用>---- 

仮に、総理が提起するように、9条1項2項をそのままに、自衛隊を明記したとしてもこの問題は解決しません。

「戦力」ではないところの「自衛隊」とはいったい何なのかという、頓珍漢な議論が温存されてしまうでしょう。

----<引用終り>----


  そして、9条2項を削除すべきと言っています。私もそう思うのですが、彼女の長文にも何か決定的に足りないものがあると思えてしまいます。


致命的な論点の欠落

  それは、「何故、今憲法を変えるのか?」「そうしなければならない理由は何か?」という疑問に一言も触れていない点です。


  彼女が、また多くの九条改訂賛成派が改訂すべき理由として挙げるのは、「現実と憲法とのギャップを埋めるため」です。「現実と憲法とのギャップ」は自衛隊という組織が設立された1954年以来続いている状況です。60年以上も放置されてきた問題に何故、今取り組まなければならないのか?なぜ、今まで済んできたのか?


  さらに言えば何故、2015年に違憲立法と批判されながら安保法を制定しておきながら、つまり憲法を無視してきた安倍政権が何故「自衛隊の違憲性」を気にしてるのか?同一人物の行動とは思えない。これはほとんど病気です。


  本来なら2015年に安保法を制定するプロセスの中で憲法改訂があるべきでした。安保法で可能になったと言われる集団的自衛権ですが、実質的には何の役にも立たないと言われています。あまりに制約が大きいためです。その制約は「憲法に反する度合いを微小化(意図としては合憲に留めるために)」することを狙ったために生じています。安保法が新憲法のもとに制定されていれば、こんなバカげたことは起きていませんでした。


  日本の政治はやることなすこと中途半端で間抜けで嫌になってしまいますよね。






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「おクジラさま ~ ふたつの正義の物語」を観て

  昨日、「 おクジラさま ~ ふたつの正義の物語 」という映画を見てきました。一言で言うと、反捕鯨団体シーシェパードメンバーが、はるばる、わざわざ、ご苦労様なことに、日本の捕鯨の町、太地町までやってきて、一方的に「自分たちの正義」を振りかざし、「日本人をクズ扱い」し、素朴・純...